ジョニー・アプルシィードは1774年に生まれた。彼の生まれた時の名前はジョン・チャプマンである。チャプマンは自然環境保護論者で有名な人によって、米国では伝説的な人物になった。米国人達の小学生の頃ジョニー・アプルシィードの伝説に教えてもらうと思う。しかし、大人になったら、その伝説を忘れてくる。どうしてジョニー・アプルシィードが有名であろうか。
チャプマンは最初のアメリカの環境保護論者である。オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州などにりんごのことを紹介した。アメリカ中りんご木の苗床を栽培してりんごの人気が増えていく。しかも、チャプマンは何生物でも気に入っていた。伝説によると蚊さえ殺させなかった。
先週末、面白いことがいっぱ起こりました。はじめに、フランスから来た世界旅を取っている間の男女を私のアパートに木曜日(十一月八日)から日曜日(十一月十一日)まで泊めました。泊める前にその二人とも知らなかったけどカウチ・サーフィンという本格的なウェブサイトに私の部屋は人が泊められる部屋として利用できることが許しました。木曜日に最後のクラスをサボりながら、京都駅に行って、その人たちを会ってきました。非常に優しくてさわやかな観点を持って終始良い仲間と付き合っていました。
金曜日に、授業のすぐ後嵐電列車で嵐山にフランス人を会ってモンキーパークに行くことにしました。モンキーパークに行く間、点々に日本人が写真を撮らせてもらいます。嵐山の橋を渡ったすぐ後、二人とも日本人男性は私たちの写真を撮ることに聞きました。
そのフランス人のこと以外にささいな用をしました。土曜日に月桂冠という酒を作る会社に行ってきました。その場所で酒を飲んだり、酒の歴史を習ったりすることができます。玄関をついたらすぐ三百円を払って酒のお土産をもらいます。
子供の頃、何が大洋の中に住まうことでよく思いました。大洋について本を読むと、不思議なイメージが出てきます。最初にデカイばけもののような海生動物を見た時、潜る憧れについて抱くようになっていきました。しかし、14歳にならないとダイビングをしませんでした。14歳まえに恐れすぎました。14歳になった時、父が頑張ることを言われましたからには一生懸命頑張らなくてはいけませんでした。
ダイビングをはじめてした経験をぜんぜん忘れません。高校のプールでダイビング先生が助けながらプールにだんだん入れるようになった。しかも、ゴーゴルで見る間、体中に安らかな気分を広げていきました。
シアトルの辺りをはじめ、ハワイなどダイビングしました。立命館大学にダイビングサークルがあるので、入ったら世界中どこにでもダイビングができる。一生に何度もダイビングをしたい。一緒に行ったら、よろしいでしょうか?
僕の生まれたのも育ったのもワシントン州のアリントンです。ワシントン州ほど米国にきれいな州はありません。オリンピック国立公園をはじめ、カスケード山脈、サィント・ヘレンス火山、シェラン湖など美しくて広大の自然を見に行くことができる。
オリンピック国立公園と言っても、三十年前世界遺産に対して登録されました。それからこそ、世界中有名な所になりました。観光客がただその所に見えるようにワシントンに来ます。太平洋が近くのでオリンピック国立公園中大雨が降ることによって、世界有数高い木が見えます。その以外に、高峰の展望台と言うハリケーン・リジで遠景に山々の雄大な氷河が見えます。
ワシントンに高山はもちろん砂漠などもあることによっていろんな気候が感じられます。カスケード山脈の東法、夏の温度が40度以上になり、冬にマイナス20度以下もなれます。しかし、カスケード山脈の西法、山脈で太平洋から来る雲を集められるのであめが多くて、温帯にたいする場所が作られました。ワシントンの面積は18万4827平方キロですので、米国に18位です。2000年の人口調査によるとワシントン州の人口は589万4121人です。
ワシントンに地名は一般的に先住民(米国の土着民)に指名されました。白人がはじめて来たとき、地名を聞いて、呼んでいきました。シアトル、スポケーン、シィラン湖など地名が先住民から来た。
ワシントンは、きれいな場所などを呼ばれますが、僕にとってワシントンは常に故郷です。
セイント・へレンズが爆発している写真