マーチン・ルター
マルシャク・フリーデリケ
マーチン・ルターは1483年から1546までドイツで息が通った。アイスレーベンで生まれたから1501年にエルフルト大学に入った。1505年ルターがエルフルトの聖アウグスチノ修道会に入った。神の事をよく信じている聖アウグスチノ修道会の修道士であった。その時、宗教家がお金をもらうために贖宥状を売った。ロムのサン・ピエトロ大聖堂を建てるつもりがあったからである。でも教会を建てるために贖宥状を造る事は聖書で書いていないから教皇と宗教家の批判をしった。ですからルターが1517年10月31日にヴィッテンベルク城教会の扉に彼が書いた旨を記した紙を張り出った。その結果、るたーが異端者になりたので友人が彼を助けて、ヴァルトブルク城の中に生ければならなかった。
ヴァルトブルク城の部屋で彼がそのまでラテン語だけで書いている聖書をドイツ語に翻訳しった。るたーが宗教改革者になりたくなかったがルターに友人と生徒がルターの考え方について色々なところで話したから宗教改革があった、クリスト宗教がカトリックとプレとスタントに分かれる。
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